実家到着
早朝に出発し、9時前には実家到着
今日はのんびり過ごそう
旦那は私をおろし出張先へ
2週間後元気な姿で会えることを願います
そして私もとりあえず生きてよう
旦那長期出張へ
明日から旦那が長期出張へ
約2週間の遠距離生活
私は実家の静岡へ避難
1人になることで消えたくなるであろうその前に、命を繋ぐための手段として実家帰省
決して当たり前ではない環境に感謝しながら、
旦那の帰りを待とう
そして自分は生きてまた家に戻ってこよう
夏は不調の季節?
思い出してみれば、初めて体調に違和感を感じたのが2018年の7月
ストレスのせいで喉に飴玉が詰まっているような違和感がとれなかった
どんどんひどくなって、毎日吐き気を感じる
そのせいもありその年の10月に電車の中でパニックを起こし、引きこもり生活に
今思えばパニック障害を発症したのだろう
翌年の夏も職場を退職している
6月くらいから徐々に不安感が大きくなって、8月には泣きながら職場に行くような毎日が続き、旦那にもストップをかけられた
翌年の夏は専業主婦のため大きな落ち込みは感じなかったが、この年の10月終わりに精神科に初めて罹ったことから何かあったのだろう
2021年、2022年の夏は意外と元気だった
パートで過ごす夏は自分にとってあってたのかもしれない、
しかし今年の夏
人生で最大の闇期となってしまった
人によって好きな季節がある
自分は夏が好きだった
活発だった幼少期、田舎特有の田んぼの中を駆け回ったり、川に行ったり、山の手伝いという名の冒険に行ったり、本当に夏が大好きだった
それが社会に出てから変わるなんて
ここ最近の猛暑のせいもあるだろう
金木犀の香りが好みな自分にとって、秋が一番好きな季節になっていくのか
そして来年の夏はどう過ごしているのか
期待よりも遥かに不安が大きいが、
まずは生きていたらいいな
生てさえいれば...?
『生きてさえいれば』
この言葉を心を病んでからよく耳にする、というか気に留まるようになった
生きてさえいればきっと幸せになれる
果たしてそうなのか、今はわからない
最高潮の充実度、幸福感を知っているから
いつかこの闇から上がれる、いやもう闇ではないのか
これが平常なのか
もっと落ちるのか
考えたらキリがないけど、とりあえず生きてみるか
生きてみると思えるだけいいのか
推していた方々がどんどんこの世を去っていく
心がどっと闇がかる
あなたたちが『とりあえず生きていて』って言ったんだよ
そんな方々がいなくなってしまったら、今がいいのかわからなくなるから
とりあえず生きてさえいてほしい、欲しかった
遠慮してた実家への甘え方
旦那の出張が約1ヶ月続いた中、義理実家にずっといるのも気を遣ってた中、実家にいる妹から連絡が入った
実の父も私と似た鬱のような時期があり、妹にその当時の状況を聞くため連絡をしたのだ
それからすぐに、『実家に一度戻ってきな』と父が言っていると、連絡が入った
小さい頃から大声をあげ、母への態度が横柄な父を大人になってもどこか好きになれなかった
自然と実家へ帰るのも億劫になりつつあった
しかも実家は隣の県で、不安障害を発症してから公共交通機関が苦手になった自分にとって、旦那と帰省する以外に実家に行くことはなかった
そんな過去もあり最初はどうすれば良いかと悩んでいたが、実家に住んでいる妹夫婦がこちらまで迎えにきてくれる、また義理の母も気分転換に行ってくればいいと送り出してくれた
結果数時間車に揺れ、久々に帰った実家は幼き頃の気持ちを引き出してくれた、そして今の自分を見つめ直し心を落ち着かせてくれた場となった
辛いと思ったら休んでいいんだよ(過去の自分から)
こんにちわ!
今回は私の体調のことについて書きたいと思います。
1度目に体調を崩した時のことは以前書いたと思うので、同じ会社を2度の休職から退職せざる負えない状況になったことを書きたいと思います。
2019何、1月からアイリストに復帰し、パートとして働いていましたが、なんとなくいつも体調のことを考えながら気を張りながら働いていました。しんどかったです、、、怖かったです。またいつ倒れるのか、外に出れなくなるのか、働けなくなってしまうのか。ずっと考えていました。
そんな中、6月の末、いつもより何となく体調がよくなくて朝から吐き気に襲われながら出勤をしました。
施術をしていれば治るかな~と思っていたのですが、真逆でどんどん体調が悪くなる一方で、「吐いちゃうかも」「怖い」
吐き気、悪寒、動機、めまいが一気に来ました。
そんな中でもお客さんは待っているので 深呼吸「大丈夫大丈夫」とひたすら唱えていました。なんとかピークは越すことはできましたが、その日は早上がりさせていただきました。
「またトラウマになってしまう」こんなことをずっと考えていました。働けなる。どうしよう。
案の定トラウマになってしまいました。
その時顎関節症にも苦しんでいて、そのせいでご飯も全然食べれなくなってしまっていたのでその影響もあったと思います。
次の日が会社、そう考えただけで眠れなくなってしまいました。朝は、過呼吸に襲われ、吐き気を催しながら必死に出勤をしていました。胃薬を飲んで何とか耐えていました。不思議なことに会社につき、施術を始めると症状は治りました。そんな状態を約一か月続けていましたが、とうとう限界がきて出勤することすらできなくなりました。
知らない間に涙が出て、胃薬が効かないくらい胃痛がして、過呼吸もあって、ご飯は全く食べれなくなりました。
この状態では働くことはおろか、将来にかかわると思い、上司と話し合った結果 退職 させていただくことになりました。
自分の状態を理解してくださっていたので、ほんとに助かりました。
ですが予約は入っているので、予約時間だけの出勤を一週間くらい続けました。
仕事を辞めてからは、過呼吸も吐き気も胃痛も消えました。今回は気を張った状態のストレスだったと思います。完全に治っていないのに焦る気持ち一個で復帰したので限界が来たんだと感じました。
今も緊張する場面 例えば、歯医者に行くときなどは胃が張ったりしてしまいますが、日常生活は特に支障なく過ごしています。でも、めまいだけは消えません、、、耳鼻科に行ったほうが良さそうです、、でも耳鼻科恐怖症でもあるので行くのもとてつもない勇気が必要です。う~ん、生きずらいな(笑)
退職するときにオーナーから
「戻ってきていいからね」
そんな言葉をかけてくださいました。
とても救われます。また、アイリストできるかな~やりたいな~そんな感じのふんわりとした気持ちでいます(⌒∇⌒)
楽観的に考えているほうがうんと楽です。それが今までの自分にはできませんでした。なにかあったらどうしおう、、、そんなんだから壊れるんですよね!やっとわかりました。でもなかなかそんなすぐには思考は変わらないのでゆっくり訓練していければと思います(⌒∇⌒)
今は働きたい欲があまりないのでのんびり家で過ごしています。でもやっぱりどうしても周りと比べてしまいます。
比べない思考を早く身に着けたいです!
心の状態が末期
7月の初め、急に朝起きれなくなった
ご飯も食べたくない、顔も洗いたくない、掃除もしたくない、大好きな化粧もしたくない。
料理ができない
何から始めれば、どんなふうにすれば、まず何を作ればいいのか
何日も何日も続いた
そんな状態の中、パートに行っていたのは奇跡である
心当たりは一つ、『旦那の長期出張』
1人になってから悲しくもないのに涙が出る
自分が自分ではないみたいとはこのことか
まるでもう1人の自分が、自分という身体から魂だけ抜かれながら、どこに行けばいいのかもわからなくなってしまっているようだった
辛い、という言葉では言い表せないほど悲惨な日々だった
そんな悪魔みたいな日々から救ってくれたのは義理の母だ
大粒の涙を流してる最中、運命なのか偶然なのか『1人は寂しくない?』
この連絡で全てを話した。
悲しくもないのに涙が止まらない、日常生活が送れない、消えてしまいたい...全て話した。
息子(旦那)が出張中には近くにある義理実家で暮らせばいいと、居候を引き受けてくれた
あの助けがなければ自分はここにいなかったかもしれない
崩れ落ちて、落ちて落ちて落ちて...
不安障害を持病としているため、いつものメンタルクリニックに診療、その結果
『軽度の鬱』
これで軽度なのかと思った。
仕事も休職した。
今はやっと落ち着きを戻しているが、約1週間から夫がまた出張に行ってしまう
果たして自分は大丈夫なのか